我が終戦

海軍省勤務の父親を一歳で亡くしたが、その後の戦後の混乱と母親の私たち姉弟を育てることに精一杯だった母親も平成三年に京都でなくして以来今日まで亡父と亡母を別々に葬る異形な状況であった。
本日、二つの遺骨(といっても土になっていたが)総本山知恩院に分骨をさせて頂くことが出来やっとの事で戦後の収集をした安堵感に浸っている次第。
終戦後六〇年、戦争の後遺症をまだまだ背負っている人も多いのだろうが、私の終戦はやっと本日で区切りがついたのである。