文翔館とやまびこ学校

旧山形県庁は「文翔館」として一般に公開されていた。
叔父が戦前に中央から養蚕業の指導で山形に派遣されていた資料を探すためにボランティアのガイドさんに案内してもらった。大きな産業のない山形が中央から多くの知識を導入しながら懸命に地域の振興を図っていたことを存分に知らされた。

小学校の5年生の頃のやまびこ学校が無着先生のもとで「綴り方教室」として文集として掲載されたのがこの山形だったと知り、偶然にも自分の作品が確か掲載されている文集があることを再発見し山形を急に親近感のある土地となった。