外は真っ暗だが、その日は名古屋で新商品の発表会の予定があり、起き出していつもどおり玄関の新聞受からを取り出そうとした瞬間であった。
「グラッ」「ぐらっ」としたので、急いでスリッパを持って(玄関のガラスの置物が落花して割れた)当時二人の娘をそれぞれ起こし、引き返してドアーを開けるのが精一杯であった。 (これだけの行動が出来たのは我ながら当時は冷静であったのだろう。)
近鉄特急は運行すると聞いて、大阪の淀屋橋から難波まで御堂筋を急いで歩いた。そして10時頃の運行開始便に間に合い、何とか会場にたどり着くことが出来た。(当時はエコノミックアニマルだったのだ。)
数日経過して、友人の避難している学校(兎も角必死で探したので、場所はどこであったか全く覚えがない)で再会したときの“無事で何より”という気持ちが今も忘れられない。(その後彼は大変な苦労をしたのであったが)。
震災の恐ろしさも当然であるが、肉親や友人の諸々の苦労を見る度に、被災者の人生の辛さをその後も忘れてはならないと感じた体験である。
新しい被災者のご苦労を改めて想うところである。